日本にも食のD to C は起きる!ニューノーマル時代の食産業に思うこと
「令和の今こそ“ハーモナイズ”の場を作るのがカフェの仕事」
起業家の本棚では、注目の起業家が語る「その時、私を支えた1冊」をご紹介します。
今回は、「WIRED CAFE」「Planet3rd」など“ 飲食店” の枠にとどまらないコンセプトで、新たな日本のカフェ・シーンを作り上げた食とカルチャーの仕掛け人・楠本修二郎さんです。
コロナ禍において多大な影響を受けた飲食業界にあって、日本の食の未来をどう見据えているのかお聞きしました。
「当時、僕がカフェをやると言うと飲食業界の人からよく“どうやって儲けるつもり?”と聞かれましたね」と「WIRED CAFE」誕生前夜を振り返る楠本修二郎さん。
楠本氏「カフェの客単価平均はレストランに比べて低い。でも僕は外食産業の数式を変えて考えてみた。2時間で4000円とれなくても30分でコーヒー500円がモジュールになっていればいいんです。しかもみんなのリビングにもオフィスにも応接室にもなるようなコミュニティーの場所を作れば密度が高まるしそのほうが面白い、と思ったんです。」
“飲食店としてのカフェ”の枠にとどまらないカフェづくり。その根底にあるのは、小学生時代に出会った“アメリカンカルチャー”、大学時代に出会った“コミュニティーが生まれる場所としての飲食店”そして、多くの人との出会いの中で培われた“ごちゃまぜ文化”を愛する感性。
楠本氏「小学生のころ、福岡にあった米軍基地の近くに住んでいたんです。鉄条網をくぐり抜け、誰もいない住宅地を歩き回ったりしていました。僕がアメリカンミッドセンチュリーのデザインが好きなのはこのときの原体験から来ています。西日と、すてきなデザインのチェア、おいしいコーヒー…それがどんな空間か、これだけで伝わるでしょう(笑)。僕は、共感を生む場所を作りたいと思うようになりました。」
大学進学に合わせて上京。
楠本氏「レゲエやカントリーのライブハウスなどで働いていて、そこで“エンタメと飲食が近い場所”の楽しさを知りました。どちらも知る人ぞ知るコアな人ばかりが来る店で、他にそんな店がないから、ときに世界の一流の人なんかも来たりする。偏愛性の高い場所を作ると世界中の面白い人とつながるコミュニティーができるんだ、 これはすごいメディアだと思いました。」
自分の居場所にもなり、集う場所にもなり、メディアでもある場所。そこには多彩なカルチャーが流れる。
楠本氏「僕は世界史フェチで、文化の伝播の話が大好きなんです。インドネシア語で“混ぜる”を“チャンプル”と言うんですが、沖縄でチャンプルー、長崎でちゃんぽん。海流の流れをたどって伝播したと思われる、この“ごちゃまぜ文化”をカフェに生かしたいと思った。初期に作ったお店では、僕が博多出身で屋台文化が身近だったこともあって、シンガポールのホッケンミーなどを出していました。そんなカフェどこにもなかったですね(笑)。そういう異文化のハーモナイズを生むのがカフェの仕事じゃないかとも思うんです。まさに令和のコンセプトですよね。」
在学時代から起業を意識し、経験を積むために就職。不動産、コンサルティングなどでさまざまな経験と出会いを経て独立。
楠本氏「最初にやっていた店は月収200万ほど。キャットストリートの開発後に東急東横線の高架下に出した複合カフェ〈SUS〉も定期借家期限内ギリギリで資金回収できたという状況でしたが、僕が優先していたのは、まずカフェの価値観を育てることでした。」
いつしかその価値観も定着。しかし今年、外食産業は大打撃を受けた。
楠本氏「4月、5月の売り上げは前年比で10%前後という状況でした。その後、回復してきてはいますがコロナ禍による影響は続くでしょう。これは前から言っていることですが、日本だけではなく世界的に“食”は変わるべき時に来ている。アメリカでも小売りでD to C市場が拡大していますが、日本の食分野でもD to Cの変革は起きると思います。リアルの価値を知る人がオンラインをうまく使うと、ネットの一時的な流行で終わらないビジネスになると思う。日本の食産業が少しずつでも、みんなでDX化していって、ハーモナイズしていけばいいなと思っています。」
楠本修二郎さんの起業家年表&「その時の1冊」
【1964年6月】 福岡県福岡市生まれ。小学生のころに住んでいた家の近くに米軍基地がありアメリカンカルチャーに触れる
【1984~88年】 早稲田大学在学中、イベント企画運営やプロモーション事業、店舗企画や出版などに携わる
【1988年】 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、リクルートコスモス(現・株式会社コスモスイニシア)に入社。不動産関連の知見を積むつもりが広報室・社長室に配属される
『 遊び心』(著者:大前研一 学習研究社)
「起業を具体的に考えていたときに読んでいた本。大前研一というとマッキンゼー日本支社長を務めた人ですし経営戦略本のイメージが強いかと思いますが、これは、ほぼ“ 遊び” の話しか書いていない本。あの人は本当に遊び人なんです(笑)。本当に遊んでいるから発想も豊かになり、いろいろなことを自分事として語ることができる。その強みを学んだ本です。僕も「遊び=仕事=学び」ということを社内で掲げています。」
【1993年】 リクルートコスモスを退社し大前研一事務所に入社。全国47 都道府県をめぐり地域活性化事業に携わる
【1995年~】 大前研一事務所退所後、地域開発や店舗開発のコンサルティングや、アジアン・エスニックをテーマにしたカフェを展開。やがて現キャットストリートの開発計画と出会う
『 トム・ピーターズの経営破壊』(著者:トム・ピーターズ 阪急コミュニケーションズ)
「独立して自分のビジョンを形にしようとしていた時期に読んだ本。マッキンゼー出身で、ミスター・マーケティングと呼ばれる彼が、既存のストラテジー論を覆すようなことを書いていて非常に印象に残りました。「ビジネスの本質は半径500 メートルの人を幸せにすることだ」というような、ヒューマンな部分からビジネスを見つめ直そうという視点が、まさに自分がカフェを通して実現したいことと重なりました。」
【1998年】 旧渋谷川遊歩道「キャットストリート」開発に着手
【1999年】 スタイル・ディベロップ株式会社を設立。WIRED CAFE1 号店オープン
『 茶の本』(著者:岡倉天心 講談社学術文庫)
「なぜ自分はカフェをやるのか、と問い直したときに支柱になってくれた本。もとは岡倉天心がニューヨークの出版社から刊行した、日本人の美意識や文化、歴史を解説した本ですが、天心はこの本で“ ジャパン・アズ・ナンバーワン” を説いたわけではないと僕は思いました。日本文化の根底にインドや中国などからの流れがあることを交えて東洋文化について伝えつつ、日本と西欧列強が対立姿勢を強めようとしている時代に、西洋文化と東洋文化のハーモナイズを図ろうとしたんだろうと、感じました。カフェとはまさにそんなハーモナイズが生まれる場所だと思います。」
【2001年6月】 カフェ・カンパニー株式会社設立
【2001年10月】 渋谷駅にほど近い東急東横線高架下に「SUS(シブヤ・アンダーパス・ソサエティ)」を開設
【2010年】 政府のクールジャパン戦略にプロデューサーなどとして参加
【2013年】 大収穫祭「東京ハーヴェスト」開始
「みんなが集まるコミュニティーの場」としてのカフェづくり
社名であるカフェ・カンパニーの「CAFE」は「Community Access for Everyone」の略。
その意味は“ みんなが集まるコミュニティーの場”。「CAFE」をただの飲食店の一形態としてではなく、人と人の感性・共感コミュニティーを創造する次世代に必要不可欠なインフラとして位置づけ、 情緒感あふれる地域社会の実現を目指すのがカフェ・カンパニーの仕事。代表ブランド「WIRED CAFE」をはじめ約90 店舗を展開(2020 年8 月現在)。「WIRED TOKYO1999」にて人間と分身ロボットが協業する「分身ロボットカフェDAWN Ver. β」や、長野県塩尻市のシェアハウス「宿場noie 坂勘」と協業し次世代のシェアファームモデルを構築するための実証実験も行う。
カフェ・カンパニー株式会社
【URL】https://www.cafecompany.co.jp/